劇団離風霊船 山岸諒子の徒然をつづる雑感ノート 「ラ・ヴィータ・ローザ」です


by rosegardenbel
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横浜メリケン ハナのドキュメント

古典に参加した滅多にない機会だったので、残す資料として自分の仕事内容をメモ。


【役作りに当たっての最大の難題】

●観客に、パンパンの元締めのような闇の側に寄った印象を持たれると、原作のクワシニャーが持つ日なたを生きる地道な生活者・勤労者という役割が見えなくなってしまう。ハナのこの立脚点が薄まると、住人たちのどん底ぶりを表す比較の対象が無くなることになる。この宿で唯一、自助努力で暮らしを立てている人物であることをひと目で分からせなければならない。

●原作にない滝代との直接対決のシーンが加えられたことで、悪辣な滝代と拮抗できる強い説得力と真逆の存在感を獲得しなければならない。

●原作で語られるどん底まで落ちたそれぞれの理由は、戦争を経た人々には弱すぎて合わない。昭和22年をやる以上、各自なりの戦争への言及をまぶさないと原作との融合は失敗する。


【解決策】

●稼いでいる人物の表現として、劇中の随所に労働場面を入れ込む。

ハナの日なた感に影をもたらす売春や闇市場との関わりは、常に忙しく手を動かしている「ながら」状態で演技することで、特殊な時代・状況を清濁含んで生き抜く女の「労働内容の一端」に均すことができると分析。

●滝代の真逆を意識し、どん底の宿を影で束ねている生活者のビジュアルを獲得する。

パンパン色に寄ったコジャレたパーマネントにスカートというプランが出ていたのだが、労働者としての人物象を混乱させることになるので、普通の女ではない表現の折衷案として、戦前は花柳界にいたかにも見えそうな和の玄人ぶりのビジュアル化を提案。

シックな洋装の滝代に対して劇中のほとんどをオバチャン臭いもんぺに割烹着で通し、立場の変わった4幕ラストだけ和服で出て、芝居も「ワケ知りの女」風の表現に変える。

●台詞の言葉を変更してハナにとっての戦争を一瞬イメージさせる。

「いとしいうちの宿六がおっ死んだときは、もううれしくて・・・略」
              ↓
「いとしいうちの宿六に赤紙が来たときは、もううれしくて・・・略」

冬場の氷の海のような陰惨な結婚をした女が徴兵を天の配剤と喜んだことは充分アリ。どん底にいるからこそ語れるブラックな真実として、敢えて強烈な赤紙という言葉を提案。


【出演シーン・工夫したこと】

<1> 1幕―冒頭
・ドラム缶の焚き火で売り物の焼き芋を焼きながら男爵・パンパンたちと会話
・パンパンたちにあさりのおこわを食べる動作を提案
・焼き芋を包んで肩掛けのズタ袋に入れ、おこわの食器を片付けながら信一とケンカ
・いったん引込み、大きな雑嚢を背負って出てくる
・この折に、4幕でポイントになるはおりも着ておく
・役者に話しかけながら、名主から手製の紙巻タバコを受け取る

メイクさんのヘアプランがキレイに結い上げたアップだったため、生活感を出すために手ぬぐいで姉さんかぶりをしてここでは髪を見せないようにする

<2> 1幕―終盤
・舞台ソデにブロークンイングリッシュを投げかけながら出てくる
・英文字の入った小麦粉の袋を抱えてくる
・二幕の転換時に舞台上に物を残さないよう六臓に小麦と雑嚢をソデにはけてもらう
・姉さんかぶりを取って髪を見せる
・六臓との会話中にアメリカ製の Vaseline を出して手に塗る
・4幕でパンパンに着せてやるショールを出して客席に印象づけておく

<3> 3幕―終盤
・信一と風太郎の会話に割って入りつつ名主にサツマイモを渡し出来た焼き芋を受け取る
・道代のヤケドに使った水の入ったオイル缶を持って引っ込み、小麦の袋を抱いて逃げる

<4> 4幕―冒頭
・田舎に帰るパンパンに自分用に買っていたショールを持たせる
・ここまではいつも必ず大きなズタ袋を肩から下げている

<5> 4幕―ラスト
・綿の和服に持ち物ナシの身軽な格好になる
・宴会の場でこの時代手に入りにくい高級な洋酒オールド・パーを出す
・「どん底の歌」を酒席に合うようマイナー演歌バージョンにアレンジ(2幕冒頭でも使用)


【雑感/得たこと/出来なかったこと】

◆昭和22年への設定変更をもっとも体現しなければならない役回りになって、原作との乖離の埋め方、生活者としての表現の取り方を簡単には見つけられず、ハナのやることを確定できるようになるまでに大変な時間がかかった。

動作を完遂させながら平行して台詞を喋る行為はダンスと同じく身体に覚えさせるもので、動きに躓くと台詞も止まるし、周りに合わせて動作の流れを計算しなければならないため、肝となる共演者の喋りのスピードや間合いは稽古中に体得していくしかないのだが、小返しがなかったため前日のまま通しを繰り返すことになり、一人著しく停滞感に苛まれた。

座組で一番出来ないヤツの烙印を押されたが、腹を括って年内は共演者の癖を掴むことに集中、正月休みでシミュレーションを繰り返した結果、新しいアイディアもいくつか発見し、稽古再開日からやっと芝居のスタートラインに立てた。


◆この時点で芝居は2時間30分を超えていたため、まずはテンポを上げることが課題に。本来的には台詞の隅々にまでニュアンスを届かせる芝居を得意としてきたが、それをやれるような尺は許されず、ただハイスピードで台詞を発することだけを求められる。

ここで解かったのは次の役者に台詞を渡す能力についてだった。テンポを上げても伝える意思を持って喋っている人の言葉はよく聞こえて合わせやすいが、それがない人はただの音声としか認識されないどころか台詞を言ったかさえ聞き取れない。舞台の芝居には独特のサイズがありそれなくしては成り立たないことをあらためて思う。

言葉の意味と自分の役をよく理解していればただマシンのように喋るだけでも伝わるのだ。思えば日常会話では、棒読みのような喋りからもそのニュアンスはちゃんと聴き分けている。何のために発言しているかという意思さえあれば伝わるのだ。ニュアンスを意識せずに台詞を喋る面白さを発見したのは新鮮だった。


◆稽古終盤になって、稼ぎのあるハナがこのどん底に居続ける理由を見つけた。横浜メリケンでは4場のハナは他に六蔵との所帯を持ちここにはもう住んでいない、いわゆる黒澤版「どん底」の清川虹子の流れに準じた。私自身もこの設定がもっともハナという人物を通すことが出来たのでやりやすかったし、これがあるからラストでは和服に着替えるというアイディアが生まれたのだ。がしかしではなぜ、そうなってまだ尚どん底の人間関係を切らないのか。

夫に虐げられ続けたハナにとってこのどん底ホテルは、男の上に君臨できる場所なのだ。みんなのおっかさんと見ようがやり手ババアと見ようが人々のそれはハナには関係ない。どん底だろうと貧民窟だろうとハナがハナとして雄々しく立っていられる場所がここなのだ。これがあるから彼女は貧しさにも労働の苛酷さにも負けずに生き抜けるのだ。

これは実は人との関係に嫌気が差してこの座組を愛せないと思った時に発見した。(笑)冷えた気持ちで通しに臨んだら、初めて思い通りに場を動かし切ることが出来たのだ。あ、この座った感じがハナの芯だったんだと、こんなキッカケで役が通ったのだった。稽古中の感情体験というものはどんなものであれ必ず大きな答えに導いてくれるものだ。


◆ハナは恋ごころを抱いていたというのが私の解釈だ。実は風太郎に。彼もまたそれを悪かないと思っているが、頭のいいモノ同士はそれを実現させないのだ。ハナは現実を生きる相方として六臓を選び風太郎は変わらず博打に刺激を求め続ける。

なぜ急に最後になって風太郎との、ハナにしては目立って長い会話があるのか、人にも恬淡としている風太郎がなぜ急にハナの新婚生活になど口を出すのか、ハナも冗談めかした口説きの風情まで添えて応えるのか、初めての読み稽古で肉声を交わした時にここにあるのは思った以上の厚みだと確信した。

文字で読んでいる段階でもうっすら気づいたことだったが、実際にこれらの言葉を発すると、そこに強い意思がなければ生まれない唐突な会話だという際立った違和感を感じたからだ。風太郎役の久保田氏もこれに気づいていたが、しかし今回は掘り下げるには至れなかった。

あと2週間よぶんに稽古時間があって全員でドラマを作る快感に満ちた時代に行けていたら、私は迷わずこの提案をしたが、台詞のカットに悩まされている演出にそれは言えなかったし、演者二人の認識だけでは客席には伝わらない物語の根幹に関わる大きな解釈だったから、今回は表現できなかったしこの座組では必要ないエピソードだったろうとも納得している。が、ハナ=クワシニャーは短い出番以上に大きな振幅のポテンシャルを持った役だとは、ここからも解かったのだった。


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       photo by J.Takano                   顔じゅう汗だぜ(笑)






























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by rosegardenbel | 2014-02-01 00:00 | ラ・ヴィータ・ローザ