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劇団離風霊船 山岸諒子の徒然をつづる雑感ノート 「ラ・ヴィータ・ローザ」です


by rosegardenbel
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~ 楽 RAKU ~     

                      *  *  *
  

ふんっ、と気合を入れて踏みだすようなコトには、
あらかじめどん底を想定して向かうと、
あら、そんなこと一つもなかったじゃん~?
ってなことに、結果、なる。


反動ってやつですかね。


別にそこ、ネラってやってるわけでもないのですが、
石橋(を叩いてわたる)系の丸諒の場合、
そういう、ヨイ拍子抜けに、よく遭遇します。

なんだぁー、ぜんっぜん大丈夫だったじゃん~、と思えたときにゃぁ、
気持ちもウソのように晴れ上がっちまったりして、楽~になって、
舞い上がる、舞い上がる。


反動ってやつですね。 (^o^;)ゞ


どん底想定のさなかが、一番どん底ってことなのか、
ということはね、ふむふむ。

ってことはですよ、どん底想定モードに入ってきたら、
夜明けは近い!
ってこと、、、ってことですよね。(←この辺りの表現が石橋系 (^o^;) )

よし、わかった。

独り納得、独り安堵。(笑)


いやいや、ちょいとばかりですけど、
どん底との付き合い方が分かったのは、ウレシイですよね~、
病いの巧妙だな。

あ、もう具合はよくなってきてますので、すみません、
日記の間隔もあいてしまってご心配をおかけしましたね、
本当に、ありがとうございました。



去年の夏は、個人主義について考えてたんですけど、
それがひとつ深まったみたいで、今年は仏教にハマってるんですよ。

といっても、もっぱら読書レベルでの話で、
実践は、とてもとても、、、この煩悩満艦飾の人間には無理です。(^o^)ゞ



ウチは曹洞宗なんですが、じゃあ果たして禅ってどういうものか、
誰が開いた考え方なのか、てかお釈迦さまってどゆ人だったのさ?

なーんにもわかってなかった、これってもったいなくね?

なんて、若モノ言葉で鼓舞された自分に出会いまして。(笑)


いや、同じ禅系の臨済宗のお坊さまにして、芥川賞作家でもおられる、
玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんの『ベラボーな生活』というご著書が、
とてつもなく面白かったので、それがキッカケになったんですけどね。



個人というものを考えはじめると、どうしても他者とのことに行き着くわけで。

思うに、去年あたりから、見かけの問題などを掘り下げているのも、
その辺りのことを、無意識ながら感じていたからかもしれません。

自己充足と他者承認の問題というかね。

さすがにこの世界には、その辺りの答えが、いっぱい、
用意されているわけですよね。



今のところ、玄侑さんと瀬戸内寂聴さんを軸に読んでますが、
お二方とも、やさしくわかりやすい語りかけで書いてくださっているので、
すーっと、水のように、古来の思想が沁みてきます。

日々のあれこれを、ほぼ自力で解決しなければならない現代人には、
仏教を知ることはお勧めできますねぇ。



あ、蛇足ながらのお断りですが、
信者になりなはれ、とかってことではないですからね。

人に強要するものではない最たるジャンルですし、丸諒も無信仰者、
学問として追っているだけなんで、これは気楽な随想として読んでください。



それがね、今、触れてみている中で、あー、と思ったことがあって。

幸せになりたい、って言うでしょ、みんな、
目標は幸せになることです、って、普通に、ごくささやかな望みとして。

これ、欲なんですってよ、仏教では。

なんと、幸福になりたいと思うほど、不幸になるんですって。



って聞くと、ツボかなんか売られそうなインチキ宗教の手口みたいだけど(笑)、
そういうことではなく、
幸福かどうかは、その人の心持ち次第で決まるものだから、だそうで。


恐れとおんなじかもしれないんですけど、幸福も、イメージでしかないんですって。

そして、「目標」とは、欲なんですって。(@o@)/



実態のないものを欲しい欲しいと思っても、つかめるわけないですよねぇ、
たしかに。

たいがい、幸せっていうのは、自分の外側の充実のことを言ってるらしく。



素敵な恋人をみつけて結婚して子どもを生んでいい家に住みたい、
これ全部かなったら、嗚呼しあわせ…

では終わらず、
亭主はハゲて自分は肥えて、子どもはバカだし家はボロだし、となったら、
増毛させなきゃエステいかなきゃ、いい塾に通わせて家はリフォームして、

ってお金がたりないっ、ひとつも実現できないっ、こんな生活イヤーっ、
もっと幸せになりたいーっ、と。



幸福欲求のデフレスパイラルってやつですか、人は簡単にこれに陥るそうで、
しかも、この本当の恐ろしさは、キリがないこと。

「目標」って、達成したら上方修正しちゃうものだから。

もっともっと、上へ上へ、、、
いつまでたっても欲求不満ってことですよね、これはかなり、不幸でしょう。



追いかけても追いかけても、絶対につかめないまぼろし、蜃気楼、
それが、「求ム:幸福」というものの正体なのだそうです。

もしかしたら、拒食症とかもこの辺に関係してるかもしれませんけどね。



かといって、なんだか昨今流行り加減の、
身の程を知れ、身の丈でつましく生きろ、ってな、
みみっちいことを言ってるわけでもないんですね。

仏教的に目指すべき理想形は、楽、なんですって。

ハゲだわデブだわバカだわボロだわ(すごい言い様だなぁ (^o^;) )、
いや、ほんっとそうよね~、あっはっはっは、
って笑ってられるのが、いちばん美しく、いちばん素敵な在り様なのだそうです。



だから、仏教世界の最上階は、極楽。

天国じゃないんですよね、楽の極み、なんです。



楽っていうのは、自分の内面が充実している状態のことで、
外側の豊かさ乏しさは関係ない。

内面的な幸福がほしいっていうのは、実は、楽になりたいってことなんですって。

お風呂につかって、それこそ「はぁ~あ、極楽、極楽」とか言う、ね、
あの間は、満たされきってるでしょう?

ああいうシンプルな状態、気持ちいい~、ってだけの状態が、純粋楽。(笑)

どこにでも転がってますよねぇ、その気になれば。。。



やっぱり、快感を追求することって、悪いことじゃないんですね、
なんかすっかり自己チューなイメージになっちゃってますけど。

もちろん、いわゆる慈悲ってやつですか、他者を思いやる気持ちが、
大前提なわけですけどね、仏教なんで、さすがに。

でも、単純なことですよねぇ、考えてみれば、
他人にやさしく、自分にもやさしく、ってだけなんだもんな。



ああーそうかぁ……人にやさしく自分に厳しく、は、
儒教的な考え方なんだな、そして儒教は、管理する者のための思想なんだ、
わかってきた、丸諒は好かん、これは。(笑)

そうして、このところの丸諒の心持ち、
目標を設定してそこに向かって努力する、って、どうも違う、何かおかしい……
と思うようになった、あれは仏教的には叶ったことだったのだ。


ああ~、よかった、間違いじゃなかった、すっごい安心したー。(笑)



だって子どもの頃から、
まったくもうあんたは、楽な方へ楽な方へいって!
って怒られてきたから、楽することに罪悪感を持ってきてたんでねぇ。

それに、目標設定って、イコール向上心だと思ってきたから、
目標を持たない生き方をするのって、じゃ、邪道?という不安もあったし。



たしかに、あんまり若い内から楽な方ばかりにいくのはいけないね。

というか、もったいないよね。

エネルギーが充満しているときは、いっぱい叩かれた方がいいと思う。
鉄は熱いうちに叩け、ってね。



でも、よりよき人間になりたい、っていう本当の向上心には、
欲は絡まないんだな。

修行に近いあり方というか。

修行ってごく個人的なものだから、
見栄やプライドだけで続けられるものじゃないでしょう、
むしろそういうものを捨てていくことなわけで、欲とは違う質のものですよね。



だから、純粋向上心は、生涯持ち続けた方がいい。

たぶんその方が人生楽しくなると思うし。



でも、ある程度になったら、楽も、追った方がいい。

たぶんその方が、自分のため、人のため、人類のためになると思う。(笑)

苦しいことは、日々やってくるわけだけど、
苦しみを楽しむ、というような感じがつかめれば、それは楽にいれてる、
ってことかなぁと。



不幸のどん底にいても、楽にいれてる人って、素敵だ。

逆境に負けない、って、頑張ることじゃないんですね、
無邪気でいることなんですね。

やってきた鬼に、鬼となって対抗しても戦争にしかならないけど、
子どものように、どこまでも無邪気でいたら、鬼は力を失うですよね、きっと。

それは、相手を楽にするってことかもしれない。



・・・このあいだ、大変な状況で失意にある人に、
仁王立ちして迎え撃ってくれ、と言ってしまったのだけど、ごめんなさい!
間違いました。

楽にしてください。

お風呂に入ってでも、お酒のんででも、美味しいもの食べてでも、
なんでもいいから、気持ちよくいてください。



リラックスするのって、罪じゃない。

こんな大変なさなかに、自分一人安楽を求めるなんて人でなし、
そんな風に思うこと、全然ない。



楽な人のそばにいると、自分も楽になりますよね、
だから、、、自分の楽は、人を楽にさせてあげられる、ってことだから。

いっしょに苦しむことって、もしかしたら、自己満足の範疇を越えられないのかも、
・・・かも、しれない。

とても、危なげで語弊の多い言葉なんだけど、、、そんな気がしてきました。



自分が楽にいれば、
その方が遥かに大きなものが生み出されるんじゃないですかね。。。

ああ、、、もしかしたら、これが慈悲ってことなのかなぁ。

それやったら非常識でしょ、とか、そんな自分レベルのところではなく、
もっと大きな、大きすぎて見えないような、愛情の持ち方、、、なのかなぁ。



幸福は、なるものではなくて、いるものらしいですよ。

幸せになる、じゃなくて、幸せにいる。

幸せにしている、ってことは、楽でいるってことなんです。
と。



なれば・・・楽、追求しましょうよ!

少しでも楽な方に行きましょうヨ!

解禁ですよ、楽。(笑)



そう聞けば、楽になってきたでしょお?



お釈迦様は、この世の中から苦しみをとりのぞきたかったわけで、
みんなで楽に生きようなー、って、それだけを目指してたわけで。

単純な方へ、単純な方へ。
ね。。。



なんと大きな光でしょう。



やはり、侮れませんね、仏教。

だってなんか、生きる力が湧いてきた。


ってアンタも、ほんっと単純だよ。(笑)

でも、ってことは、いいトコいけてるんですよ。
ネっ-☆




                      *  *  *
by rosegardenbel | 2010-06-23 00:00 | ラ・ヴィータ・ローザ