捨てられない女
2010年 05月 15日
* * *
そう、このところ物欲について考えています。
丸諒が決して捨てられることのない女だと、
自信たっぷりに豪語する、別のジャンルでの話じゃありません、
残念でした。(笑)
いや、「物欲がない」というのが、丸諒の唯一の長所と思ってきたんですが、
もしかしたら、これ、、、ぎゃ、逆かも?
と、ハタと気づいてチト愕然(?)になってまして。
丸諒にないのは、物欲ではなく「購買欲」なのかもしれません。
そりゃ、新しい靴♪とか、新しい服♪とか、うちに来ればワクワクはしますけど、
気持ち的には、またモノが増えてしまった…(- -)
という一抹の罪悪感にひとしいものの方が、キてるカモ。。。
なので、実はコーポ桜木の橘は、掴むのかなり苦労したんですよねぇ、
カード地獄で命がけで逃げまくってる女って、なじぇそんなことに???だった。
純粋な衝動買いってないもんなぁ、
ずっと欲しいなと思ってたものに出会えたら、逆に金額は無関係になっちゃうけど。
(それもヤバいか? )
丸諒の理想は、「自分の家にお迎えするモノは100%気に入ったものだけ」
なのです。
でも、現実にはね、そんなキビシイ関所を保つこと自体が無茶で、
いろんな道からうちにやって来るコはいっぱいいるわけですが。
だけど、お迎えした以上、どのコも愛するわけですよ。
いわゆるひとつの、結婚してから愛情わいてきた、みたいな感じ?
(んじゃそりゃ (- -;)/ )
でね、
コレが、クセモノなのではないかと。。。
愛情持っちゃってるって、、、執着じゃん?
てことはこれ、物欲、ってことでないかえ?
だって、本当に物欲も執着も絶ったひとのお住まいは、
きっと庵のように清廉なはずでしょ?
でも、丸諒の家の中はモノがあふれかえっていて、
最近ではマジで息苦しさを感じるほどに。
でも、捨てられないの。
一つ一つに愛情持っちゃってるから。
もう絶対履けないってわかってるミニスカートでさえ、
見ると忘れていた思い出がよみがえったりするから、そんな、ゴミになんて…。
と、捨てられないから、どんなに買いびかえても、モノは増えていく一方なの。
これってさ、、、モノとかのレベルでなくない?
丸諒の家は、究極の執着の館だってことじゃんっ。。。(@o@;;)/
そんなホラーな、いんなあわあるどおお~~、の淵を、
覗きこむのはチョトおいとくとして (^_^; )
なんでモノを捨てられないかというと、
丸諒の中にもったいない精神があって、なのは確かなんです。
まだ使えるものを捨てるなんて言語道断!
これは母のせいです。(笑)
昔の人の、着物を洗いはぎしては着つづけて、擦り切れたら繕って、
雑巾にするまで使いきるという精神への憧れも、どこかにあるのかもしれません。
布の命を成仏させてやったな、って感じするでしょ?
今までほんとにありがとうね、って、
別れるときに手を合わせたくなるような。
そう、で、もう一つの理由がまさにこれ、「命」で。
物も使いこむと魂を宿す
学生時代の民俗学の講義で聴いた、
柳田國男だったか折口信夫だったかの言葉。
これが、いたく実感できたわけですよ、
ついこの前まで、古いモノたちが一緒に息づいているような家で、
山の暮らしをおくっていた信州乙女には。
そう、、、、
黒い台紙の、擦りきれた別珍のアルバムとか、
角だけよれて中味が見えそうな、飴色の柳行李とか、
ピーっと灰色のヒビが入った、柿右衛門風の大きなお皿とか、、、
生まれる前からいたモノたちは、客間や納戸やお勝手に入るたびに、
暗がりでボヤ~っと光っているような、素通りできない何かを出しているようで、
つい、じーっと、目を留めてしまうのでありました。
それは、ちょっと怖くて、どこか安心で。
なぜだかいつも、3歳ぐらいの自分を感じてた気がする。
あのヒトたちは魂を持ってると思う。
としか言いようがないんだもん、あのボヤ~っと呼吸してる加減は。
まちがいないからっ。(笑)
な、ことがね、心の根っこにあるもので、
捨てられないわけですよぉ~、一度うちにお迎えしてしまったモノ's は。
一つ一つに、誰かの、自分の、想いがこもってる、思い出を持ってる、
とか思っちゃわなきゃいいんでしょうけど、くっ。(- -;)
ちょっと前に、「断捨離」って言葉が流行りましたよね。
身の回りのもの、できるだけ捨てて、執着を絶つ!雑念から離れる!
とかいう、お片づけと癒し効果の一挙両得よん♪的な生き方術。
で、できないわけですよ、、、だからこれ、丸諒は。
確かに、どんだけス~ッキリ!するだろうさと憧れますよ、
なにせ丸諒の究極の理想は、庵主さま。
せとうちじゃくちょーさんの向こうをはって、
竹林の中で清らかに命と向きあわせていただきたい、な~む~ (- -) ですもの。
そこまで行ければ、この術も自分のものにできるかもですが、
まあ、今生では到達するよしもがなの煩悩人生、まちがいナシなので、、、(- -;)
だいたいこの響きがコワイよね「ダンシャリ」って、
すでにして仏さまに近い感じじゃないっすかぅ、畏れおおすぎ。。。
でも、まあ、ぷちぷち断捨離ぐらいは、もういい加減こころみないと。
息苦しくなってきているのは、愛するモノたちも同じかもしれないもんな。
捨てると決めた途端、ゴミの烙印おすようで、申し訳なくなっちゃうんだけどね。
嗚呼、、、いっそ、蔵で暮らしたい。(笑)
成仏させるって、たいへんですね。
モノも、出来事も、関係も。
楽日の出前に、セリフたち、シーンたち、成仏させられますようにって、いつも思う。
ほとんどが、小屋で地縛霊になってると思いますが。(笑)
やりきらないと、使いきらないと、仏にはなれないんだよねぇ。
むぅうううー、、、ごめんなさいっ。
どうせなら物欲道きわめますから、なにとぞっ。
* * *
そう、このところ物欲について考えています。
丸諒が決して捨てられることのない女だと、
自信たっぷりに豪語する、別のジャンルでの話じゃありません、
残念でした。(笑)
いや、「物欲がない」というのが、丸諒の唯一の長所と思ってきたんですが、
もしかしたら、これ、、、ぎゃ、逆かも?
と、ハタと気づいてチト愕然(?)になってまして。
丸諒にないのは、物欲ではなく「購買欲」なのかもしれません。
そりゃ、新しい靴♪とか、新しい服♪とか、うちに来ればワクワクはしますけど、
気持ち的には、またモノが増えてしまった…(- -)
という一抹の罪悪感にひとしいものの方が、キてるカモ。。。
なので、実はコーポ桜木の橘は、掴むのかなり苦労したんですよねぇ、
カード地獄で命がけで逃げまくってる女って、なじぇそんなことに???だった。
純粋な衝動買いってないもんなぁ、
ずっと欲しいなと思ってたものに出会えたら、逆に金額は無関係になっちゃうけど。
(それもヤバいか? )
丸諒の理想は、「自分の家にお迎えするモノは100%気に入ったものだけ」
なのです。
でも、現実にはね、そんなキビシイ関所を保つこと自体が無茶で、
いろんな道からうちにやって来るコはいっぱいいるわけですが。
だけど、お迎えした以上、どのコも愛するわけですよ。
いわゆるひとつの、結婚してから愛情わいてきた、みたいな感じ?
(んじゃそりゃ (- -;)/ )
でね、
コレが、クセモノなのではないかと。。。
愛情持っちゃってるって、、、執着じゃん?
てことはこれ、物欲、ってことでないかえ?
だって、本当に物欲も執着も絶ったひとのお住まいは、
きっと庵のように清廉なはずでしょ?
でも、丸諒の家の中はモノがあふれかえっていて、
最近ではマジで息苦しさを感じるほどに。
でも、捨てられないの。
一つ一つに愛情持っちゃってるから。
もう絶対履けないってわかってるミニスカートでさえ、
見ると忘れていた思い出がよみがえったりするから、そんな、ゴミになんて…。
と、捨てられないから、どんなに買いびかえても、モノは増えていく一方なの。
これってさ、、、モノとかのレベルでなくない?
丸諒の家は、究極の執着の館だってことじゃんっ。。。(@o@;;)/
そんなホラーな、いんなあわあるどおお~~、の淵を、
覗きこむのはチョトおいとくとして (^_^; )
なんでモノを捨てられないかというと、
丸諒の中にもったいない精神があって、なのは確かなんです。
まだ使えるものを捨てるなんて言語道断!
これは母のせいです。(笑)
昔の人の、着物を洗いはぎしては着つづけて、擦り切れたら繕って、
雑巾にするまで使いきるという精神への憧れも、どこかにあるのかもしれません。
布の命を成仏させてやったな、って感じするでしょ?
今までほんとにありがとうね、って、
別れるときに手を合わせたくなるような。
そう、で、もう一つの理由がまさにこれ、「命」で。
物も使いこむと魂を宿す
学生時代の民俗学の講義で聴いた、
柳田國男だったか折口信夫だったかの言葉。
これが、いたく実感できたわけですよ、
ついこの前まで、古いモノたちが一緒に息づいているような家で、
山の暮らしをおくっていた信州乙女には。
そう、、、、
黒い台紙の、擦りきれた別珍のアルバムとか、
角だけよれて中味が見えそうな、飴色の柳行李とか、
ピーっと灰色のヒビが入った、柿右衛門風の大きなお皿とか、、、
生まれる前からいたモノたちは、客間や納戸やお勝手に入るたびに、
暗がりでボヤ~っと光っているような、素通りできない何かを出しているようで、
つい、じーっと、目を留めてしまうのでありました。
それは、ちょっと怖くて、どこか安心で。
なぜだかいつも、3歳ぐらいの自分を感じてた気がする。
あのヒトたちは魂を持ってると思う。
としか言いようがないんだもん、あのボヤ~っと呼吸してる加減は。
まちがいないからっ。(笑)
な、ことがね、心の根っこにあるもので、
捨てられないわけですよぉ~、一度うちにお迎えしてしまったモノ's は。
一つ一つに、誰かの、自分の、想いがこもってる、思い出を持ってる、
とか思っちゃわなきゃいいんでしょうけど、くっ。(- -;)
ちょっと前に、「断捨離」って言葉が流行りましたよね。
身の回りのもの、できるだけ捨てて、執着を絶つ!雑念から離れる!
とかいう、お片づけと癒し効果の一挙両得よん♪的な生き方術。
で、できないわけですよ、、、だからこれ、丸諒は。
確かに、どんだけス~ッキリ!するだろうさと憧れますよ、
なにせ丸諒の究極の理想は、庵主さま。
せとうちじゃくちょーさんの向こうをはって、
竹林の中で清らかに命と向きあわせていただきたい、な~む~ (- -) ですもの。
そこまで行ければ、この術も自分のものにできるかもですが、
まあ、今生では到達するよしもがなの煩悩人生、まちがいナシなので、、、(- -;)
だいたいこの響きがコワイよね「ダンシャリ」って、
すでにして仏さまに近い感じじゃないっすかぅ、畏れおおすぎ。。。
でも、まあ、ぷちぷち断捨離ぐらいは、もういい加減こころみないと。
息苦しくなってきているのは、愛するモノたちも同じかもしれないもんな。
捨てると決めた途端、ゴミの烙印おすようで、申し訳なくなっちゃうんだけどね。
嗚呼、、、いっそ、蔵で暮らしたい。(笑)
成仏させるって、たいへんですね。
モノも、出来事も、関係も。
楽日の出前に、セリフたち、シーンたち、成仏させられますようにって、いつも思う。
ほとんどが、小屋で地縛霊になってると思いますが。(笑)
やりきらないと、使いきらないと、仏にはなれないんだよねぇ。
むぅうううー、、、ごめんなさいっ。
どうせなら物欲道きわめますから、なにとぞっ。
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by rosegardenbel
| 2010-05-15 00:00
| ラ・ヴィータ・ローザ