劇団離風霊船 山岸諒子の徒然をつづる雑感ノート 「ラ・ヴィータ・ローザ」です


by rosegardenbel
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溶け合えて…刹那の愉悦

             *  *  *
戦い済んで、日は暮れて…    

『エクスタシー』ご来場いただきまして、本当にありがとうございました。

いやぁ~終った終った。
濃い~夏でした。予想通り。
最後の最後まで、久々にエロチック街道爆走できまして…
ええ、エクスタシー、満喫させていただきましタ(笑)
おかげさまで、忘れられない夏になりました。

難しいお話でしたよね、アジアの人間----特に日本人には?かな。
ドラッグ、宗教、若者文化、、、
翻訳しきれない言葉や背景が幾つもあって、
一度聞いただけではなかなか理解できなかったんじゃないですかねぇ。
でも、作品の底に流れているものは万国共通(笑)
揺るぎない愛の闘いの物語です。
熱をほとばしらせて、熱の塊になってそこに生きる。
それだけに染まり切った舞台でした。

個人的にはぜひ、本上演でこの作品の素晴らしさを、
ビジュアル面からも味わって頂きたいと、切に思いますネ~。
美しいシーンが描かれたト書がいっぱいあって、
リーディングでは、ほぼ全カットしなければならなかったので、
勿体なかったなぁと。
冒頭の聖体拝領のシーンは、木村クンとプランニングして、
無理無理ビジュアルに持ってっちゃいましたケド。
子どもたちがドラッグを服用するシーンと、
他ならぬベルニーニのテレサとのダブルイメージをやりたくて、
和田さんも気に入って下さったようなので敢行させて頂きましタ。
のっけからアレだったので、ド胆抜かれたというお客さまも多く…
だってねぇ、タイトルがタイトルですから、
皆様のご期待にはお応えしておかないとぉ(笑)
それにしても、思いがけない反応と余波の大きさに、
嗚呼あたしってまだ女でいられてたのねと、実感貰えてうるうる。
春に還れたゼ(爆)

じゃあ、今回は信仰編という感じで、如何にしてアンとポールを創ったか、
なんて大仰な…わはは、ま、そんなお話をば。

そう、エクスタシーというと、日本では性的な絶頂を指しますよね。
本来の意味が宗教用語の“法悦”だなんて、誰が知ってまっかいな(笑)
でも、初めに法悦ありきであったとしても、
行きつくトコは一緒なんですよ、意味は一緒、だと思う。
実際、あたしは昔からカソリックの聖体拝領にはある感を抱いてまして…
崇高にして神聖な儀式なのだけれど、
八百万の神の許で暮らすワタクシにはずいぶん隷属的な行為に見えて、
支配する者とされる者という厳格な絵に、
裏腹な、ある種のエロチックさを感じていたのです。
だって口を開けた顔を見せるって、すべて明け渡してる感じでしょ?
隙だらけ、どーとでもなります、あたしはあなたのもの、的行為(笑)
余談ですが、それを逆手に取ったのがマリリン・モンローですよね。
あたしも自分でプランした割に、すっごい度胸いった実は。
女優生命賭けましたよぉ、マジで。だはは。

なので、なんだか腑に落ちない感じで、
信仰って実は非常に、セクシュアリティと関係深いものなんじゃないかと、
思ってきましてね。
人を縛る甘美な縄、というか、
捕えられて抜けられなくなる喜悦、というか。
そうしたら、あたしが読むに、まあホントに超読?なんですけど、
この『エクスタシー』にはダイレクトにその問題が書かれてる気がして、
ダイアローグのベースもそこに置いて始めたのですが、
さらに進んで、
コレはちょっと、表現にしてみたいなぁと、、、
あたしのこの作品へのアプローチは、
やっぱり、エクスタシーとはなんぞや?というところからでしたネ。

あたしたちの中では、アンとポール神父の間には男女の機微がある、
というところでやってました。
最初に読んだ段階では、ポールはあくまで普通の神父さまで、
アンを救済すべく見守っている人なんだと思ったんですが、
去り際に、アンの肩に手を置くポール、というト書があって、
これが謎で(笑)
あんじゃこりゃ?別に、ではまた、で普通に去ればいいのに、
なんで手を置く?ああ?
で、誤読を承知で恋心アリで読んでみたら、
コレが、そうも読めちゃったんですよね…タマげたことに。
てかむしろ、ポールは、
男であることと神父という立場との、板挟みになってると読んだ方が、
このホンの、
実体のない物に支配を許す、依存する、虜になって縛られる、
というテーマが鮮やかさを増すことを発見したワケです。

カソリックの神父さまは、
プロテスタントの牧師さんと違って、妻帯が出来ないんですよね。
女性とは一生涯交渉を持てない。
『薔薇の名前』という映画の中にも、
修行中の若い僧が恋に落ち、セックスしてしまう場が描かれていましたが、
神に身を捧げた者には、それは究極にして真の不倫なワケです。
とすると、アンに恋慕を感じているポールの苦悩は、なまじじゃない、
進めないのに進みたい~、触れちゃなんねーけど触りたいぃぃぃぃ、
になるワケで・・・
コレって、面白いじゃないですか。
…冒涜って言わないでネん、無宗教人間ならではの解釈デス~。\(-◇-;)

でも、振れ幅の大きさにグチャグチャになってる人物の方が、
やっぱり面白いでしょう。
もしポールを、清廉潔白な厳格な神の子として立たせたら、
あの人、何の為に出て来たのかわかんない。
ポールのドラマを持たないとね、とは和田さんはずっと仰っていて、
それをどこに置くかで、演出と演者と共演者の意識が合致したのです。
ポールの闘いどころ、ね。
そう、舞台の中に和田さんの求めるものは、闘いなのです。

かくして、例のト書部分は、宗教家としての立場を維持しつつ、
と見えるようにやりましたけど、
エクスタシーとの対峙に磨きをかけるべく、
テコ入れ計った本番後半戦の二日間は、
最後の別れのシーンで、掟破りにもポールからアンの腕を掴みましたね。
去らせたくなくて。
情熱の欠壊…ってヤツですな。
カソリックの本質をご存知の方から見れば、この破壊僧っ!な絵デス。
が、それが木村クンが選んだ結論。
十字架を外すことは出来ないけど、十字架に重さを感ぜざるを得ない、
そんなポールになったようです。

信仰心では計れない、止むに止まれぬ激情って、あるでしょ誰でも。
いかな神父さまと言えど、ぜ~ったい有るよねぇ、人間なんだから。
だから神にすがるワケでしょ、人間を超えた理性の存在になりたくて。
ゆえに、あたしたちの解釈ではあの二人はあそこでは終わらないんですね。
彼が信仰を捨てるとか、そこまで行くかは知らないけど、
関係が切れるわけぁない、アンは融合を知ってしまったんだから、
そんなポールをも抱合していくだろうし、そこに、
もしかしたら彼は、神を見るかもしれない…とね。
作者マージェリーの書きたかったことは、ゾーが体現する原初の人間の姿、
ありのままを持った、抑圧も依存もない姿だとあたしたちは解釈したので、
楽天団のポールは、いいんですアレで(笑)

この作品が素晴らしいと思う由縁は、実にこういうところにあります。
ともすれば日によって、まるで違うシーンになっちゃう。
カンパニーによっても、全然違う舞台になるでしょうね。
それは、ト書にしろセリフにしろ展開にしろ、
どうとでも解釈できるように、
作者が縛りを与えていないから起きる現象なのですね。
主役さえも、入れ替わってしまえる作品なんですもの。
独りよがりじゃない、客観的なホン。
作者の思いは、たぶん誰がどんな風に演っても強烈に伝わる、
だけど、そこに至るまでの心情の機微は、創り手の意志に任せてくれる、
自由で熱の篭ったホン。
読めば読むほど、切りのない、
イマジネイションを雲のように沸き立たせてくれるホン。
女性作家の作品と思うと、同性として驚嘆しちゃいますね、
しかも一方で、マージェリーは舞台女優でもあるのです。
ヤバい。。。(笑)

毎回、新しい、違う気持ちで舞台に立ちながら、
あたしの目の向く先には、いつもマージェリーがいましたね。
あたしはあなたの作品の中で、こう生きているんだけど、
あたしはこの作品を通して、こんな世界を創っているんだけど、
マージェリー、今日のはどうかな?って。
大きい出会いでした。
極東の地にいるあたしが、大平洋の輪の向こうにいる女性から、
演ずることの楽しさを蘇らせてもらえました。
いつかお会いしたい。。。
和田さん、オーストラリア公演しましょうよってば!

             *  *  *
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by rosegardenbel | 2006-09-05 00:00 | ラ・ヴィータ・ローザ